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ファーストノート_homeTM
ピアノ付属用品リニューアルピアノ防音室室内移動・買取り音感トレーニングレッスン

日々、スマートに物事を進めたい。私の率直・安直な理想です。

電車内で何気なく携帯電話を操作する様子を目にします。
他人がどのような機種でどのようなアプリを使いどのように車内で過ごそうが
あまり気にはしませんがそれでも他人の携帯画面がふと目に入ってしまうことがあります。
そんな中、スマホ画面の端に少しヒビが入っているのを時々目にします。
欠けやヒビ割れたものを使っている人を見るとこの人はガサツな性格なのかな?
と勝手に偏見をいだいたりしてしまいます。

職業柄、普段から道具や物を丁寧に扱うよう心掛けている私には携帯にヒビ割れなど
ありえないと自負し、実は私は未だにガラケーなのでこういったこととは無縁と思って現在もガラケーで充分!
とキメ込んでおりました。

そんな毎日、仕事でもう一台携帯電話が必要になりました。 
頑固?にガラケーを買おうとネットで調べてみると結構高いんですね。
そこで「お試し」と自分に言い聞かせて格安スマホを買ってみました。

するとすると仕事では大変重宝しています。天気情報で降雨分布がちょっと大きい画面を動画で
見れるのがすごくいいですね。
それとカーナビを装備していない私の車にはナビ代わりに使えて大変助かっています。

さて、さも他人には興味がないようなことを述べておりましたが実はヒビ割れ以外にも気になっていることがあります。
スマホのケース類が目についておりました。いろんなものがあるんだなあっと、チラ見ではなく一瞬釘づけで
ガン見してしまうようなものもあります。

それにしてもあんなにスッキリ薄く仕上げて完成している製品にカバーをして厚みや外周りを
大きくするようなことをしてどうするんだ?と思っていました。
スマホ購入検討時にネットでも商品のアピールとして軽量・外形の薄さを仕様に謳っていることをふまえると
この周囲の使い方には疑問をもっておりました。

私の場合は車に設置したり外したりが多いのでスマホカバーなるものはつけず(特に手帳のようなタイプ)、
また画面の不鮮明さを懸念してガラス面に透明の保護シールなどは貼らずに使用しておりました。

つづき

(つづき)
購入してからそろそろ1年、最近は言葉の由来などを辞書アプリで引いたりと
まさにスマートに物事を進めるのに大変役だっていた
ある日、場所は取引先のビル、
地下駐車場で車から降りるときジャケットを車内から取り出し、
着る前に一旦腕に折ってかけたその時です、胸ポケットに入っていたスマホがスルっと
抜け落ちてしまったのです。
胸ポケットの口が下向きになってしまうあの時です、コンクリートの床に向かって落ちていきました。
「ガッチャ〜ン」とか大破するような音ではなく、「コツン」固い落下音がしました。

職業柄(2)、音には非常に敏感でその「コツン」と聞こえた
落下音が
スマホにどの程度の衝撃が加わったのかハッキリと想像がつきました。

野球でいえばボールの芯をバットの芯が完全に捉えてフルスイングでなくとも
その質量・加速度がボールへ100パーセント伝わりスコーンっと軽くホームランっていう感じです。
(イメージのほうがわかりづらかったですかね。)

とにかくその落下音だけで完全にやったな!やってしまった!とわかりました。
スマホを拾い上げ恐る恐る画面をみると案の定、画面全体がもれなく割れてしまいました。。
んー、さわやかなくらい?もはや芸術的?に。
そのヒビ割れた模様をよく観察するとどうもスマホの角からコンクリート面に直行したようです。

ショックを受けました。(
どっちが?、スマホも私もです。)
辛うじて画面のガラスが欠け落ちたりはしておらず、タッチ操作も問題なくできました。不幸中の幸いです。
が、しかし自分が不注意で落下により画面にヒビを端の方を少々ではなく
画面の端から端まで広範囲に入れてしまうとは全く全く思っておりませんでした。

落下で壊すことは当然注意していたんです。ズボンポケットに入れる時などはストラップにつけたり。
車の時は専用ホルダーに装着してたのですが、その日は何度か行ったことのある取引先ということもあり
道順もよく理解していたので、ジャケットの胸ポケットに入れて車内では脱いで運転しておりました。

車から降り後部ドアを開けお気に入りのジャケットを取り出しサクッと着こなそうと颯爽と
それこそスマートな一連の動作しか私の頭には描かれていませんでした。

本当ショックで一日落ち込みました。せめてラバー製の保護ケースなどに入れていれば、
あるいはなんで胸ポケットにスマホをしまっていたのか?とすごく後悔しています。

他人のヒビ割れを見てガサツなどと偏見をいだいた罰があたったのです。
周囲のみなさん私の偏見大変失礼いたしました。

カバーをつけないれっきとした理由があるとはいえ私の考えが甘かったのです。そして油断しておりました。
奇遇にも落下する数日前に言葉検定でしょうか「油断」「油断大敵」の由来をTVで解説しておりました。
その時は既に辞書アプリで言葉の由来を知っていたので軽んじた感覚でボーっと見ておりましたが
それこそが油断ですね。以後灯明の油を切らしてはならぬと肝に銘いじました。

そのあと画面操作は問題なくできるのでヒビ割れた隙間に粘度の低い瞬間接着剤を
流し込み固まってからはみ出した接着剤を綺麗に削りとりました。
職業柄(3)、そういった修理作業は御手の物です。。(この修理方法はマネしないでください)
そして念のため飛散防止にあの貼りたくない透明の保護シートを貼って今でも丁寧?に使っております。

もうすぐ購入して2年、
今度は少し高額でも耐衝撃タイプのスマホに買い替えようと思ってます。
ケースなどには入れたくないので。意地?、頑固?。


(さて既に突っ込まれているかと思いますが、、)
冒頭、「日々、スマート…」ではなく「スマホにヒビが…」と改める出来事でした。お粗末様でした。



♪ 手芸男子、、、

昔購入した生成りのジャケットが3着も出できました。(内2着は1回も着てません)

Gジャン風のデザインでまだ着れるかな?と着てみたら

生成りの白はさわやか過ぎて今の私にはチョット浮いた野暮ったい感じでした。
(石田某氏なら無理なく着こなしちゃうんでしょうね)

綿製だったの染め直せないかなーと調律作業の帰りに寄り道していろいろ手芸店などを見てまわりました。

いろいろ悩んだ末、Ritという染料で、ダークブラウン・ダークグリーン・パールグレイ・タンを購入しました。

、、、、続きと染め上がりは後日アップしますが、

ところで、私、職業がら手先には自信があり、最近でいう、「手芸男子」を20代から密かにずーっとやってました。

今は100円ショップで手芸道具も手軽に買え、何より「手芸男子」という言葉のおかげで男性もやや市民権が

出てきた感じで助かります。それでも、レジで女性店員に商品を出すときはチョットハズカシイものです。



■ 迷走感覚

廊下の端から端まで同じ間隔、扉がいくつも並んでいる。小窓もついていて、これも同じ間隔で
配置してある異様な空間。ドラマなどで見る刑務所の廊下、それは言いすぎ?
せめて東ヨーロッパの芸術家輩出機関とでも言えばよいでしょうか?、

母校、都立芸術高校音楽科の練習室が並ぶ廊下です。確か室内も同じG3が2台ずつ並んでいる。

当時、私は美術科でまだピアノ調律という仕事をするとは全く思いもせず、なるかならぬか芸術家の道を
ぼちぼち諦めかけていた頃だったと思います。その母校も都行政の統廃合で校舎・練習室が駒場から
もうすぐ消えてしまうのではないかと、いまさら妙に気になる。

「諦めかけていた」と何か閉塞的な時期のように記したが、そうではなく、次々に出会う新しい芸術世界に
目移りし、自らの「興味津々」がむしろその異様な空間を何かの用事のたびに横切るのが好きで、
私の好奇心を刺激してくれました。 岩代太郎、3年間でほとんど会話したことはなかったが
きっと彼のレッスンの音も聞いていたであろう、他にも芸高出身で活躍している同期の練習
あるいは講師の演奏などを耳にしていたのかもしれません。その良し悪しは別として
今思えば貴重な体験で私の耳を刺激し育てた環境の一つかもしれません。

学校は井の頭線駒場東大前と田園都市線池尻大橋の間に位置し、吉祥寺から通っていた私は
駒場東大前方面へ歩く訳ですが、まっすぐ下校する気もなくあちこち寄り道して帰りました。
その一つに「こまばエミナース」というホールと式場と宿泊施設が一緒になった複合施設がありました。
年金基金?で建てられたその箱物は最近勢いづいた蓮舫議員の仕分けの対象になり例の
「廃止とさせていただきます」を浴びたのだろうか、あるいは民間へ売却されたのだろうか閉鎖されていた。

こまばエミナース

そこではホールでTV番組の収録や一角でロケがよく行われていました。出演するタレントや女優さんたちを
毎週のようにでまちなどして過ごしました。誰をみたかなどほとんど忘れてしまいましたが、近年他界された
大原麗子さんは今でも覚えています。ロビーのようなところでファンの色紙にサインしている様子、
顔が小さく目はぱっちりと大きくほんとに綺麗だなーとその美貌に特にファンというわけではないが
その高校男子、ボーっとのぼせたりの日々で小市民的というかミーハーというか恥ずかしいものです。

卒業して中目黒へ越してからも時々、散歩の途中そのこまばエミナースの中にある喫茶店へよく行きました。
天井が高く気持ちよく、ホテルのロビーラウンジを小ぶりにしたような感じで料金は安く、そして
有名ホテルにあるような仰々しさは全くなく、そこで読書をしたり、メモ帳や紙切れにイメージや妄想など
書き記したりしながら気分よく過ごした記憶があります。

その場所のその時間はひとりですごし誰に話すこともなかったのですが、クラスメイトが講師として
芸高へ通っていると聞き、なんでも「授業と授業の間が長く空くときがあって時間をつぶすのが大変だ」
とのことで (職員室は息がつまるのだろうか??)その喫茶店を教えました。彼も気に入った様子でよく利用
したと話をしてくれたのですが、ある日、「あの喫茶店がなくなった」との話を突然聞かされて
残念な思いをしました。彼もそうだったようです。

ページタイトルに反して珈琲をよく飲みました。、ぬるくはないが少し薄めのこれといったかわりばえのない
主張のない味でした。そのせいだろうか(いや単に自分の記憶力が乏しいせいで)今は店名も思い出せない。。
そのぐらいの距離感が私にとっては居心地がよかったのでしょう。今でもいい時間をすごした感覚だけが
残っています。   つづく。

つづき
4月に入り花見の季節。御存知だと思いますが目黒川の桜はすごく綺麗で、たくさんの人でにぎわいます。
地元なので毎晩、夜桜を見物して過ごしておりますが、今年は東北地方の震災の影響で夜は灯りを消して
いささか地味に花見を行ないましたがそれでも例年どおりの人が動員されたのではないかと
その様子を見て感じました。

目黒川

その目黒川は池尻大橋の方から目黒・五反田方面へと流れているのですが、
私は日ごとにエリアを変えて花見をします。
某日、日中、時間が空いたので池尻方面へ桜を見物しながら
歩いていると、気がつくとすでに芸高の校舎の前についていました。統廃合で校舎がどうなっているのかと
校門の横書きのプレートを見ると学校名は「都立総合芸術高等学校」とかわり、その下へ「駒場校舎」と
表示されておりました。どうやら当分、今年度?は残っていそうです。

愛校心というのでしょうか、私はそれほどないと思っていました。けど、校舎が残っていてよかったなと感じました。
クラスの中には毎年校舎へ訪れ、ある年は、勝手に中へ入り教室をみたりしてまわると、セキュリティーシステムが
動作し通報され、職員にきつく注意されたことがあったそうです。いい大人がいけませんね。

いつか校内の様子を話したいと思います。校庭が無いこと、音楽ホールやギャラリーがあることなど、、。

花見・母校見物のついでに前回お話した「こまばエミナース」の方へ足をのばすとそこはすでにマンションでも
できるのでしょうか、まさに建設中でした。どうやら民間へわたったようですね。
私の思い出の場所が一つ消えてしまいました。 つづく。


つづき
そののち、お花見の時期ではなくある日、いつもの散歩コースの延長で母校の前を通りました。
すこし曇り空で気の重たさを助長するようなムードの中、一歩一歩その現場?へ近づきました。

校門にあった学校名が記されたプレートが根こそぎ取り外され、その下地、荒々しいコンクリートの素地が
廃校の告知を残酷に示しているようでした。

こうなることはわかっていましたがあまり目にしたくはない散歩中の風景でした 。
訪ねる前はこの目で確認したい気持ちもあったわけですが、、、

そう、、残念です。本当になくなってしまったんだなぁ、我が母校、

学校としては、総合芸術高校?に引き継がれます
前にも述べましたが母校にそれほどの愛校心?みたいなものはないのですが、
校舎という建物が、自分の思い出とか、当時の自分の実在感を、
(その影といってはなんですが、、)補足していたんだなと気づかされました。

ちょっと待て、校舎はまだ健在です。まるで校舎がなくなってしまったかのような曖昧な描写をするところでした。
この日は門が閉ざされプレートが無くなっていただけです。
それでもプレートが無くなるだけでも十分喪失感を与えるものです。

その残念感がおさまったころちょうどクラス会の案内が届きました。
スケジュールを確認して出席の返信をしました。

2・3年ぶりの開催で20人弱集まっただろうか、みんな学校の統廃合のことは数年前から知っており、
いつもの思い出話をその統廃合と校舎の話題が横切り、耳をかたむければ、
中にはその新しい総合芸高?に行ってきた輩もいる。未来志向?だなぁ。。
どうやら私は懐古趣味のおっさんのようです。

この記事をアップするころは校舎もなくなり新地になっているのだろうか?。 つづく

つづき
さて、その校舎が解体される前に校舎の様子について触れておきます。

A棟、本校舎、4階建て、普通科目とホームルームのため教室ほか校長室や職員室など、
おそらく普通科をメインとした普通の高校とさほどかわらないだろう。
外観もコンクリートのグレイやオフホワイトに塗られた教室の内観なども当時の普通高校と同様だ。
違いといえば、
加えて絵画室、素描室、彫刻室などが各階の突きあたりにあるのが特徴だろうか。

次にB棟、音楽棟とでもいうべきか冒頭で記したとおり当時私は美術科で
そんな私には魅惑の空間でした、何度か入った記憶ではレッスン室がズラッと並び
他、合唱室・合奏室ほか楽器の保管室と音楽科の先生講師の職員室などがあったと思います。
私がこの棟に出入りしていた理由は2年の時、軽音楽部の部長をやっていて
その顧問の先生によく注意・指導・おもにしかられにいってました。
結構学校の先生をなめていてまったくおびえることもなく、音楽棟に行ける面白さの方がおびえ?に勝っていました。
それでも一・二度はこっぴどく説教されました。その発端や理由はまったく思い出せず、、
ゆえにありがたいお説教の中身も全く覚えておりません。
顧問の先生、申し訳ございませんでした。
そして
、次はC棟、芸高の誇る?音楽ホールとギャラリーの話をします。  つづく

つづき、
春、私たちは後列にしたがって座席がせりあがっているキャパ300人程度のホールに参列し入学式を迎えました。
学校の伝統ついて校風について校長先生らから順に話がありました。
話を聞いてはいるがステージ壇上の背面が奇妙な出っ張った構造で凹凸が施してあり、
入学初日はその形状が気になり立派な説明もほとんど覚えてません。すみません。。

音楽ホールによくある反響を活かすために、壁面や天井にさまざまな形状の工夫が施してありますが、
C棟、当校ホールはその形状が若干大雑把な感じです。
それでも、高校のホール設備として当時はすばらしい箱だったと思います。
この当時は思わなかったのですが小中規模ホールの良さというものもあるなって、
コンサート調律でいろいろなホールで作業しながらそう思ったことがあります。

理由は後日、調律の話をまじえてしたいと思います。

芸高では、今でいうプレゼンルームのような会議室?がなかったため、
代わりに事あるごとに何々総会とか何とか協議会など、なにかと集合し、
その他式典などもこのホールで施されました。

私はそのホールで軽音楽クラブでの演目を恥ずかしながらステージに立ち演奏をしました。
それから卒業式に変な余興のようなことをしてのちにいい笑いものになりました。
よく言う、「今はいい思い出」などとはけしていえず後悔しています。

卒業後も自宅と芸高が近かったので音楽科生徒の定期演奏会など聴きにいきました。
演奏は高校生ですからまだまだのびしろ?はありますが、それでもすごく上手です。
ホントですよ。 つづく

つづき、
そういえば、大事な?施設の紹介を忘れるところでした。
C棟にはアートギャラリーがあります。
音楽ホールのエントランスの手前にあり、一階と地下一階が設けられています。
1年展2年展など在学中に何回か行われる展覧会や
課題提出した優秀な作品などが展示されるスペースです
アート系の部活の発表会や文化祭では笑劇などの催しも行いました。

あと展示や発表がないときはデッサン室として使われたりしました。
年間を通すと展示以外の目的で使っていることの方が多かったかもしれません。
ときに、画材業者が生徒向けに画材セールの催事を行ったりしてました。

芸高美術科は卒業時にその集大成として卒業制作展を行うのですが、
その展示だけはこのギャラリーではなく都立高校だけに東京都立美術館で行われます。
私の作品も展示されました。あのフェルメール展やほか世界の巨匠たちの企画展と
同じ美術館で展覧会を行えるのですからすばらしい体験になります。
(ただ、都美館はスペースが広いのでその中でもだいぶランク下?の場所にての展示ですが。。)
ここでは私の作品についてはふれません。駄作です。ホントですよ。  つづく。

つづき
さて最後に校舎というか校内の説明ですが、芸高にはいわゆる校庭がありません。
体育の授業があるのですが、その授業はC棟の上階に設けられた体育館でのみ行われます。
青空の下、のびのびとといった光景は芸高にはありません。
このことは入学前に一応知ってはいました。
しかし学校見学時に校庭?を見た気がします。確かに見ました。C棟の脇道を降りて進んでゆくと、
白線で仕切られたコース、立派な陸上のトラックがあるではありませんか?。
あれはなんだったんだ???。
入学してすぐに明らかになりました。あれは芸高のものではなく
お隣の都立駒場高校の施設とのこです。ご存知の方も多いと思いますが、
芸高の母体はこの都立駒場高校で、かつてそこに芸術科が創立されており、
芸高はそこから独立した形で発足されました。
おそらく芸高の敷地自体、元は駒場高校の敷地だったのでしょう。
そのため我が校舎、敷地と入り組んでいて、クラスメイトも同様に誤解したそうです。

芸高と体育の授業というのは結びつかないかもしれませんが、当時の体育の先生は
何事も健康でなければ何もできない」と、、「授業や創作活動に必要な体力を補う必要がある」と
おっしゃっていました。この言葉だけはしっかりと覚えておりました。
また歳をとるに従いその言葉の重みをしっかり受けとめるようになりました。
体育の先生ありがとうございます。

体育の先生は人気がありました生徒思いのいい先生です。
そのせいかほとんどサボらず出席し、私たちは日ごろの専門科目の授業のストレスを
この体育の授業で発散できたと思います。特にバスケットボールを夢中になってやりました。
ちなみに音楽科はバスケットボールほかの球技なども突き指防止のためほとんどしなかったそうです。
ひたすら体育館をランニングしたりなどの単調な体力増強プログラム?のような授業らしいです。
いろいろ難しいですね。

芸高の部活にも体育系がちゃんとあるんです。さすがに野球部はありませんでしたが、
当時はその発足を夢見て軟式野球部?部だったかなぁ?軟式野球同好会?もありました。
そして有名だったのが空手部です。数々の大会の参加し優秀な成績だったと記憶しております。
ほかテニス部などありました。むろんテニスコートもありませんのでC棟体育館で屋内テニスとなります。

花壇畑
校内の隅には小さな花壇や畑もありました。それからうさぎ小屋がありました。
小学校低学年じゃあるまいしって、、、美術科では、デッサンや彫刻にうさぎを
モデルにする課題・授業をします。そのモデルうさぎを学校で飼育してました。
飼育担当は美術科の1年生がすることになっていてその名も「美一郎」です。
歴代のモデルうさぎの名前はすべて「美一郎」と名づけられていました。
(私たちの代までかもしれませんが)名前はともかく、
数年前学校を訪ねたときはうさぎ自体は飼われていました。
なつかしかったですね、もちろんその当時のうさぎではありませんが、、
きっと1年生たちが立派に育てているんだと思い込んでその日はすごしました。
夏休みも当番を決めて学校に行き、小屋を掃除し、えさを与え、小学生のように世話をしました。
(先生もかなりフォローしてましたが、、)
美一郎、何代目?

芸高というのはちょと変わっていたかもしれません。
普通高校の校舎での経験がないので比べようがなく、想像ですが、
まず、校風はたしか自由と主体性・自発性などを重んじてたと思います。
まぁこれは表向きの学校のスタンスというんでしょうか、
当時の先生の中には思想的に微妙に?いや、かなり保守的に偏った人もいました。
でも芸術なんて言論・思想のぶつかりあいもなきゃって感じで、
学び舎で言論が交わされるなんてムーブメントがあっていいじゃないですか、、
ところがそれがまたとことんぶつかり合わない形でまぁ、ちまちまといろいろありました。
私もそういった先生へ時に(とても言論なんていうしろものではなく)
抗議?暴言の類をぶつけたことがあります。あおいですね。

そう、あと私服でした。髪型も校則での決まりはなかったと思います。
一部の先生が個人的に気に入らない髪形の生徒に指導というより今思えば単なる難癖をつけていました。
私服で登校というのは洋服センスと洋服買うお金があまりなかった私にとって
かえって大変でした。私服生活を楽しんで通ったという感覚はありませんね。
私服のせいか、クラスメイトは
ティーン向けのファッション雑誌などに出ていたり
校門前でTV番組(ファッション関係の)取材をうけてカットされずちゃんとオンエアーされてました。
(番組名はたしか西城秀樹の「モーニングサラダ」?とかいって、話が飛びますが、
とんねるずがはじめて自分達のコーナーをもった番組だと記憶してます。)

やれやれ校舎の話ではなく学校生活の話になってしまいましたね。

そう、それで芸術高校ですから当然、専門科目が多く、
普通科目は文科省で必須とされているぶんしか行いません。
全生徒は250人程度、敷地がせまく専門の施設がたち、
ホームルームから見える景色はそう校庭ではなく、窓際目前の細い道を挟んで
警視庁第3方面機動隊?の庁舎で、授業中、機動隊の訓練の掛け声や
あと警告文を拡声器を使っての読み上げも、
普段からしっかり想定練習していて、
それも新米がやっているんでしょうか、
ちょーカミカミで聞いていると結構笑えました。

というわけで、そうですねトータルではいい学校だったと思います。ホントということで。

それで、
最後の最後になりましたが、そうそう、芸高にはプールがありませんでした。

(以上、校舎に関するお話はこれで終わりです。次は何を書きましょうか。)


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